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視覚芸術百態展 シンプルで大きなポートレート

視覚芸術百態展で印象に残った作品について。

 

今回は、トーマス・ルフという写真家のこちらの作品をご紹介します。

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ポートレート (K.クネフェル)」 1988年の作品です。

Ketterer Kunst, Kunstauktionen, Buchauktionen München, Hamburg & Berlin

 

この何気ないポートレート

実は「スケール」をテーマにしたコーナーに展示されておりまして、実際は非常に大きい作品でした。

 

なんでこんな大きなサイズにしたんでしょうか?

証明写真みたいだけど、どんな意図があってこんな写真を撮ったのでしょうか?

 

昨年なんとトーマス・ルフさんの回顧展が東京・金沢で開催されていたそうで、その際のインタビュー記事がありましたので、それを読みながらこの絵を考えていきたいと思います。

www.cinra.net

 

インタビューのルフさんの発言の中で、印象深いものをいくつかピックアップしてみます。

 

多くの人々は日頃、写真に囲まれて生活をしているにも関わらず、その状況を自覚していないからです。

でも実は、人の世界のとらえ方の中には、写真が深く関わっています。だから、人々の足を少し止めさせて、彼らに「自分が何を見ているか」を考えさせる作品を作ってきたんです。

 

私たちは、写真に写ったものを、つい現実そのものだと思い込んでしまいがちです。しかし多くの場合、写真は現実を素直に切り取ったものではなくて、カメラの背後にいる撮影者の意図や作為を反映したものです。そのことに気づいてほしいんです。 

 

私たちが普段見ているものが、どういうものかを示したかったんです。インターネットの登場以後、一番の問題は、人々がしっかり見ることをしなくなったことです。表面ばかりを見て、それを読み解くことができなくなっていると思います。つまり、「見る」という行為の質が失われてきているということです。

 

ポートレートシリーズについての言及もありました。

 

自分の友人を撮った作品で、最初は小さいサイズで展示したんです。そしたら会場に来た被写体でもあった友人たちが、その小さい写真を見ながら「これはヨハンだね」などと話していた。その光景を見て、私は「いや、本物のヨハンはそこにいるじゃないか」と思ったんです。 

 

そこで私は、彼らの写真をできるだけ引き伸ばして、再度展示した。すると「これはヨハンのずいぶん大きな『写真だ』」と反応が変わりました。つまり現実と写真の混乱がなくなって、写真を見ていることに自覚的になったんですね。写真の巨大化は、当時は二次的な芸術と思われていた写真が、第一級の芸術に仲間入りすることにもつながりました。人は写真の前を素通りできず、立ち止まって考えざるを得なくなったんです。

 

サイズについての疑問、ドンピシャで答えてくださっていますね。

サイズを大きくすることにって、鑑賞者が意識的に写真を見るようになるからなんですね。

確かに、大きく人の顔が印刷された作品って素通りできませんよね。

 

写真は、撮影者の意図や作為を反映したものだと考えているルフ氏。

だからこそ、その意図や作為を排除した証明写真風のシンプルなポートレートを提示することで、予備知識やヒントがほぼゼロの状態から人が肖像写真をどのように見るのか、何を感じるのかを問い直しているんですね。

 

ネットで検索すればなんとなくそれらしい答えがすぐに見つかる時代に生きている私たちは、答えや正解がないものに遭遇したとき、何を感じていいのか迷いがちになっているのかもしれません。

 

作者が「これを伝えたい!」というメッセージ性の強いアートもありますが、「見る人が自由に感じ取ってくれ!」というアートもあります。

前者の場合には作者の意図さえ知れば、それなりに分かった風な顔で鑑賞できます。

後者の場合、自分が何を見てどう感じているのか、その意識に自覚的になる必要があるんですが、あまりその必要性って日常生活で見逃されがちですよね。

 

普段忘れがちなことを思い出させてくれるのも、アート鑑賞の楽しいところだなと思います!