トルコ至宝展③オスマン帝国の女傑ロクセラーナ
オスマン帝国についてウィキペディアサーフィンをしていたら、とんでもない女傑を見つけてしまいました。
その名も、ヒュッレム・ハセキ・スルタン。
ヨーロッパでは東スラブ人を意味するニックネーム「ロクセラーナ」で知られているそうです。
ロクセラーナさんが一体どう凄いのかと申しますと、奴隷の身から皇后になって、子を王様にしちゃったというサクセスぶり。
ロクセラーナさんが活躍したのはオスマン帝国最盛期の君主・スレイマン1世の時代。
ロクセラーナさんは大宰相パルガル・イブラヒム・パシャにまず奴隷として買われ、その後スレイマン1世に献上されたそうです。
ロクセラーナさんはスレイマン1世にたちまち気に入られ、子をもうけ、第2夫人にまで登り詰めます。
必然的に自分の子供を次の王様にしたいという思いが強くなりますね。
そうなると、第1夫人のマヒデヴラン夫人とその息子ムスタファの存在が面白くない。
どうにかしなくちゃとロクセラーナさんが考えた作戦は、自分で顔をひっかき、その傷をマヒデヴラン夫人にやられたとスレイマン1世に報告するという中学生っぽい卑劣なやつ。笑
でもその作戦は成功しちゃいまして、スレイマン1世によってマヒデヴラン夫人とムスタファ親子は遠くの地に左遷させられてしまいます。
この左遷は国民に「スレイマン1世の後継者はムスタファではなくなった」と示したことになります。
また最初に自分を奴隷として購入した大宰相イブラヒム・パシャも政敵でした。
イブラヒム・パシャはロクセラーナにとっては邪魔でも君主スレイマン1世にとっては皇太子時代からの仲良しな側近で、「自分が君臨している間はイブラヒムを処刑しないよ」という誓いを立てたほどの間柄です。
それなのに1535年にイブラヒム・パシャはスレイマン1世によって処刑されるのです。
人々は「ロクセラーナが裏で操って処刑に追い込んだに違いない」と噂したそうです。
スレイマン1世はイブラヒム・パシャを処刑しないと誓いを立てていたので、「ムスクを建設するからその近いをナシにしてくれ」と許諾を得ての執行。
しかし処刑から20年後、スレイマン1世はイブラヒム・パシャを死に追いやったことを後悔しているかのような詩を残しているそうです…。
スレイマン1世とロクセラーナの間には5人子供がおりました。
1人が早世したため、4人のうち誰かを王にしようと奮起するロクセラーナさん。
長男が有力だったのですが病死。
すると左遷されたムスタファが再び時期君主として有力になってしまいます。
こりゃいかんとロクセラーナさんは宮廷内で働きかけ、その結果なんとムスタファは処刑されてしまいます。
ムスタファはイェニチェリ(君主直属の軍)からあつく慕われていたので、処刑の際には反乱寸前だったとか。
ムスタファという王座を脅かす邪魔者は消えましたが、その直後にロクセラーナさんの息子がまた1人亡くなってしまいます。
生き残った息子は2人、セリムとバヤズィト。
しかし、息子が王座に就くことを見届ける前にロクセラーナさんは亡くなります。
母の死後、セリムとバヤズィトは王座をめぐって激しく対立し、最終的にはバヤズィトがセリムによって処刑されるという形で決着。
スレイマン1世の死後、セリムが王位を継ぎます。
そんなセリムさん、政治は側近に任せて自身は宮殿で放蕩にふけっていたため「酔っ払いセリム」なんていう残念なあだ名で呼ばれています。
ワイン飲んで風呂場のタイルで滑って転んで頭うった11日後に死んだ、というなんとも…な死に様が記録に残っています。
セリムの子で王位を継いだムラト3世も、政治はまわりに任せて遊びほうけた挙句に性病で亡くなってます。
ムラト3世の子で王位を継いだメフメト3世も政治に興味を示さず、暴飲暴食で38歳で死亡。
なんか、ロクセラーナさんが宮廷に来てから、血が流れまくりでロクなことになっていない。。。笑
ムスタファが王位についていたら、世界史は大きく違っていたんでしょうか?
1人の女性の登場によって大きく世界が動いたという事実が本当に面白い!